鶴岡邸

他生物を受け入れる建築 野放しに増え続ける人工物 ある科学誌(Nature: 2020年12月9日発表論文)で、「野放しに増え続ける人工物」という記事に出会った。それによると、人間の生み出した人工物が、今地球上の生物の質量を上回り始め、その大きな要因は建築資材なのだという。この内容は、これまでの「人のためだけの建築」をつくり続けることに限界が来ているということを示唆している。生物と人工物のバランスが臨界点にある今、これからの人間の居場所、建築のあり方とはどのようなものなのだろうか。  建築にはまず、厳しい自然から身を守るという本質的な機能が求められる。災害を経験するたび、自然と空間の境界は頑丈なものになり、人間と他生物の居場所の内外の分断はますます強くなっていった。われわれは、自然や他生物がつくり出す環境が、豊かであり美しいということはよく分かっている。だからこそ、庭に植栽をしたり、屋上や壁面に緑化を施したりする。しかし、建築の賑やかし、人の居場所のための添景としての植物は、人間側からの一方的な視点で計画されたものだ。それは、生き物としての居場所ではなく、拡張された人間の居場所のようなあり方である。「野放しに増え続ける人工物」の実態とは、実はこの「無意識に拡がっていく人間の居場所」にあるのではないだろうか。地球上で人も植物も動物も土中の虫たちもすべて生きるという事業を共に進めているのだから、大地は人も含むいろいろな生物が生息する不定形の集合体である。それらをひとつのまとまりとして、建築はその受け皿となれるのだろうか。 環境のインフラストラクチャー 長屋の設計の依頼が来た。敷地は長閑な低層の住宅街であるが、目の前には豊かな自然公園が広がっている。天然記念物の植物群落も生息しながらも、観光客のボートが浮かぶ人工池もあり、自然と人工が織り交ざった環境である。敷地を人間のための居場所で埋め尽くすのではなく、目の前の環境を受け入れるような建築を模索した。通常は平面計画で敷地を「庭」と「家」に分配することが多いが、この方法だと自然と建築がただの近接関係になりがちだ。ならば、断面計画で「庭」と「家」を上下に積層していくとどうだろう。すべての階がグラウンドレベルとなり、その下にアンダーグラウンドのような空間が生まれ、相互に影響を与え合う関係が生まれそうだ。積層される庭は地被だけでなく、低木、中木までが混在する小さな森となるよう、土は極力深くした。それは、土の薄さを追求する現代の屋上緑化とは逆行している。庭を他生物にも開き、居場所として提供し、一緒につくっていくことで「庭」は「環境」になっていく。他生物を支える環境とするための必須条件は、土中の雨の良質な水はけにあった。そこで、雨水が重力で自然と落ちていく断面の検討を重ねた結果、連続ヴォールトスラブに行きついた。雨がヴォールトの山から谷へ、そして谷から縦にコアで運ばれるという水の流れが、そのまま建築の躯体のかたちとなった。このアプローチは、用水路やダムのような土木の設計と似ている。厳しい自然の中で、雨や土などをいかに合理的に背負い流していくか、それだけに集中する切実さが土木の設計にはある。事実、環境を背負うことは決して安易ではなかった。静的な人工物とは違い、環境の変化はコントロールできないからである。土はただでさえ重いのに、集中豪雨時の雨、年々成長し増大する植物、それらの荷重を見込み、予測不可能で不安定な生物や気候が建築の設計条件となった時、一体何を基準にしたらよいのか。設計が進めば進むほど、環境を抱え込むことがとてつもなく怖くなった。それでも、豪雨に対応するオーバーフロー管を複数設けたり、抱え込む土を蒸散で日射熱をやわらげる効果のある内外の境界部分、屋上面や2階庇に限定し減量したり、自然のリスクにも向き合いなんとかこの「環境のインフラストラクチャー」は施工に至った。 なぜここまでしてこの「環境のための建築」をつくることにエネルギーを注いできたのか。それは「環境のための建築」が「人のための空間」にとっても新しい合理性をもたらすかもしれないという期待があったからだ。異常に厚い土が空間を包むことで、夏場は洞窟のように外部の日射熱を感じないほどひんやりと過ごせる居場所があったり、冬場は床暖房で土に蓄熱させ、床やコアの周囲にぼんやりと暖かい居場所があったり、土が人の暮らしにポジティブに働くかもしれない。また、雨を流すためにかたちづくられた連続ヴォールトスラブは、その下の空間に極端に天井高の低い部分を生み出し一見ネガティブにも思えるが、一般的なフラットスラブと比べ、もう少し生活に手を差し伸べる構造体のあり方になるかもしれない。頂点では3,500mmという開放的な高天井をつくりつつ、谷では2,000mmまで下がり手が届くスラブとなる。構造体に手が届けば、Pコンにアイボルト、リングナット、ワイヤーなどを取り付けて、自由な位置にハンモックをかけたり、ペンダントライトを移動したり、プランターを吊るしたり、カーテンで間仕切ったりできる。手に触れられる構造体は、生活に創造性を生み出してくれるかもしれない。環境だけでなく、暮らしも支える構造になる。 他生物とともにある暮らし 施工中も、まだ自分の中に大きな疑念がひとつ残されていた。それは、この人工物に支えられた環境は、人の手の加わった「管理された自然」であり、本来の環境とは「手つかずの自然」のことを呼ぶのではないかということである。 そんな時、学生時代、廃墟の調査でイタリア、ウルビーノの石積みの村を訪れた体験を思い出した。ぽっかりと開けた丘に廃墟があり、朽ちて大きな穴のある屋根をもつリビングであったであろう場所に入ってみると、驚いたことにその室内には小さな森があった。建築がなければあの場所はただの芝生の丘であった。しかし人間が構築した人工物の痕跡があったからこそ、明らかに生物は多様化していた。石の外壁があったから垂直面に自生できた蔦、屋根があったから強い日差しから守られた低木、床のタイルがあったから雨水を存分に受け生き延びた中木など、人工物のおかげで、環境の質に差が生まれ、多様な生物の居場所が提供されていたのだ。それを思い出した時、このプロジェクトを通して「人間のための建築」は環境のためにもなり、「環境のための建築」は人間のためにもなるということを目指したいと感じた。人間と自然、土と植物、植物と動物、人間の暮らしの周囲にあるさまざまな生物同士の双方向から需要と供給を観察し、建築がそれぞれのもっている機能を結び付け、もちつもたれつの関係、相互補完の関係で成立する構成を見つけることができれば、これからの建ち方が獲得できるかもしれない。 「鶴岡邸」は、人だけでなく他生物も受け入れようと試みた建築となった。時間の経過と共に樹木は成長し、飛び交う鳥や虫も手伝って今ここにない樹種も加わり、やがて小さな森が生まれるかもしれない。数十年も経てば建築が姿を消すほどに生物が増大し、いつかは人工物の質量を超えていくに違いない。しかし、このひとつの住宅が広い地球環境を改善するほどの効果をもたらすわけではない。それよりも、生物と人工物の適切なバランスで構成された環境で、人と他生物が、私とあなたという二人称的な関係で、直接触れ合い、恵みをありがたく思える距離感で送れる生活、ただそれをつくりたかった。

クレジット

  • 設計
    武田清明建築設計事務所、家具:株式会社サインクラフト 担当/南川英雄、照明:竹内俊雄、外構:ACID NATURE 乙庭 担当/太田敦雄、松島哲雄、造園:上田亮、設備:株式会社振東工業 担当/大森 一、電気:小松電気工事株式会社 担当/小松 謙治、防水:田島ルーフィング株式会社 担当/綿引友彦、型枠:有限会社五十嵐建設 担当/五十嵐章裕、建具:株式会社源元 担当/伊藤哲哉、石積み:大貫石材株式会社 担当/上田亮
  • 担当者
    武田清明、作山美幸
  • 施工
    株式会社太平建設
  • 構造設計
    ASA/鈴木啓、 ASA元所員・oha代表 /長谷川理男
  • 撮影
    浜田昌樹(kkpo)

データ