計画地は、国技館にほど近い洋服店である。クライアント夫婦は、両国を長く居住の拠点としていた。この地に愛着をもったことから3年前にこの建物に引越し、2階を住まいとしながらお店を営んできた。 もともと洋服のみのお店であったが、東京五輪による観光客を巻き込みながらも、お客さんたちとのコミュニケーションツールとして自家製の果実酢を振舞いたいという願いから、お店の中にドリンクテイクアウトができる最低限のカウンターが欲しいということであった。また、中古物件であったこの建物の黄色い外壁が気に入っておらず、外観を大々的に変えることはできないかという思いもあった。 既存建物は築30年であり、知る限り二度所有者が変わったという。これまでの住まい手は事務所や調剤薬局として利用しており、薬局の名残であるアクリルパーテーションやフローリング調シートが残っていた。かつて看板を照らしていたであろう外部照明は、現在は何もない外壁のみを照らしている。 2人は移り住んでからも薬局の内装をそのままに、これまで3年間洋服店を営んできた。 - これは改修ではない - ご夫婦と対話を続け人柄に触れたとき、改修後にお店の機能が充実し外観や店内がきれいになれど、この店の本質は全く変わるものではないのだと感じた。 お店の利益向上がすべてではなく、より深く地域に根差した生活を営んでいく次の第一歩となる計画のように思えた。 そうしたとき、どうしても改修という古いものを新しいものに刷新する行為と、ご夫婦の求めているものとが結びつかないような感覚だった。 おそらく改修という行為そのものが、2人のこれまでの3年間に沿うように展開せず、街に対してお店の背景を含めた時間をぶつ切りに抜き取ることになってしまうのではないかという懸念だった。 そこで改修のように壊して新しいものを付け加えるのではなく、新しく家具を買って部屋に置くように、ファサードとカウンターを敷地内(建物内)に文字通り並置することを考えた。 ・ファサード 既存建物は道路から1.1mセットバックしている。人が歩けるように外壁から0.8m距離をとって、新たなレイヤーをつくるように、1枚の自立したファサードを建てた。新ファサードは3つのフレームが門型に組み合う構成であり、フレーム内にロープを縫わせたことで、旧ファサードをフレーム越しに透過させる。 住宅用玄関を程よく隠しながら、お店への暖簾のようであり看板のようでもある。両端のフレームはベンチやカウンター、棚となるように寸法を調節している。フレームは曲げ加工による200mmの等辺アングルからなっている。窓や家具のような印象と機能を絡ませるが、アングルを肥大なスケールとすることで、そのどれにも回収されず、ファサードとしての全体性を確保した。 ・カウンター 内装は、要望に沿って必要最低限な機能をカウンター内に設えて整えた。 床の嵩上げによって通常よりも高さのあるカウンターは、あえて既存と同調させずに艶のある塗装を施したマッシヴな箱として、床から150mm浮かせた。既存を壊すことはせずに極力触れず、あくまで並置させることを意図している。 既存のちぐはぐな建物に対して、それらをなかったかのように一新することは容易い。だがそれらをナラティヴと捉えて更新していく。そうして共時的な既存と新規の狭間に起こりうる人の行為が、洋服店と街との距離を少し近づけるだろう。 コロナ禍の中、この計画を決意したご夫婦の生活が、今もなお起こっている両国の持続的な形成のプロセスに、立ち向かいながらも深く参加する契機となることを期待している。 このファサードが建った時、クライアントご夫婦はそれまで嫌いだった黄色い外壁が好きになったと言ってくれた。 一方で、隣に立つ築100年近い食堂は関東大震災後に建てられた看板建築の風貌を保っているのだが、新設したファサードは、デフォルメしつつもその看板建築に倣うように建てた。古くからこの場所に住む隣人は、かっこよくていいと私たちに話してくれた。 両国という歴史や人情に深い土地柄だからこそ、過去を断絶せず再解釈しながら新しい時間を追記していくことがおこなえれば継承は続いていく。 少々アジテーショナルだったファサードは今、たくさんの植物が置かれて不思議と街に溶け込む新しい看板建築の体を成している。
クレジット
- 設計
- ARCHIDIVISION/塩入勇生+矢﨑亮大
- 担当者
- 塩入勇生、矢﨑亮大
- 施工
- THモリオカ
- 撮影
- 中島悠二
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