過去に、福祉施設や事務所として利用されていた約150㎡(RC造1階)のリノベ―ション計画である。 施設の設置基準等から水廻りや事務室のほか、遊戯室・運動室、個室が3つ必要だったところ、面積に対して室数が多いため、居室を島のように配置して動線を整え、アクセシビリティな構成とした。 まず、採光や換気といった衛生面をクリアすべく、水廻りと防音室を除いた居室の壁を約2mと低く設定。これにより、居室の天井がフラットに繋がり、所内の空気が循環するとともに、視覚的な拡がりも体感できる。 計画地は路面で3方向に視界が抜ける開放的なロケーションで、採光や通風を確保するには十分な環境だ。 更に、室内天井から同レベルで続くRCの深い軒との関係性が、日射の影響を和らげ、開放性と連続性を備えた施設となった。 子供たちの動向にも細心の注意を払う。 突発的な行動をとる子供たちがいるため、様子を逐一確認できる見通しの良さが大変重要となる。 そのため、事務室から運動室までの建具を開放すれば、施設の端から端までを窺い知ることができるようになっている。また、事故防止や行動抑制の観点から、既存の風除室に加えて内側に前室を設置したことで、物理的にはもちろん緩衝帯としての抑止効果が期待される。 コストバランスの調整には時間を要した。 近年のコスト高による煽りを受けつつ、安全面を考慮しながら、気配や安らぎの感じられる素材の選定・構成に重点を置いた。安価な材料を用い、衛生的で手入れがしやすく、優しい建材を使用している。 子どもの施設ではあるが、色味やトーンは抑え気味にしている。 これから日々を送る中で、道具や花など物理的な色から想いや感情まで、個々がさまざまな色を持ち込んでくれるだろう。見通しの良さや透明なレイヤー、無彩色のテクスチュアが背景としてそれらを間接的に手助けする。 あくまで主役は子どもや大人たちだと想える空間を少しずつ耕し、形作っていくことが大切なのだと思う。 予算上、諦めなければならない場面もあった。その最たるところが天井だ。 既存器具の移設などによって現れたジプトーンのツギハギ。当初は目潰しのうえ塗装、色合わせをして軒と同化させる検討をしていた。目立つのだが、慣れてくるとこれはこれで良い気がしてくるのは不思議な経験だった。新たなパターン・ランダムなテクスチュアにも感じられる。 その上で、通常であれば目も当てられないこの状況を「世界一解像度の低い天井」と捉えてみる。 解像度が低いとは、本来、荒くて視界がぼやけたていたり、思考や未来が見えない混沌とした状態のことを指すが、鮮明であることが良いことばかりではないのは、環境・建築面において90年代以降に我々が実体験から明らかとなってきたことだ。 ノイズと認識される荒さを雑として考えてみると、散らかった状態や淀んでいるさま、未完を想起させる。それが日々の何気ない感じだったり、大ざっぱさがちょっとした豊かさを纏ったように聞こえてはこないだろうか。これが、微妙に雑だったら、またニュアンスも違ってくるのだが。 日本では4~5年ほど前に雑という字が持て囃された。以降、自然回帰的な風潮がコロナ禍も相まって加速度的に普及していった。 雑感・雑然・雑事・雑念・雑居・雑種・雑多・雑踏・雑煮… どれも整ってはいないが、日常や何気ない空気感が漂っている。 また、ラフと表現すれば、力を抜いた適度な状態にも感じられる。 この事業所は、通所する子どもたちやそれを取り巻く大人たちのこれからの日常を彩る場となっていく。 リノベーションの醍醐味のひとつでもある既存と共に生きること、これから先のことが行き交う交差点として、この見通しの効く環境下で、のびのびとした療育シーンが展開されていくことを願っている。