
JR東日本(山手線、京浜東北線、東海道本線)、JR東海(新幹線)が通る鉄道高架橋の下を300mにわたって開発した計画である。この高架下は、銀座、有楽町、日比谷、新橋などの個性的で華やかな街のどこにも属さずに、それぞれのエリア同士のノード(結節点)となりうる可能性を秘めた立地であった。8000㎡を超える都心の一等地であり、貸付面積を最大限確保するのが事業者としてのセオリーだが、100年近くの歴史を持ち、東京都という都市の遺構ともいうべきこの高架下空間を床で埋め尽くすのではなく、誰でも利用できるオープンエアーなパブリックスペースとして開放し、通路と広場の中間的な性格をもった共用空間を中心に、その周りに建築が貼りつく構成としている。こうして作られた共用空間は、消防活動と避難に有効な複数の通路を介して、土木柱に囲まれた広場やニッチ状の空間が数多く点在し、外部も含めた回遊性を高め、これまでと違う人の流れを生んでいる。また、鉄道高架橋が併走する特異な立地にあらためて商業施設として計画する上で、高架下空間にとってノイズとなるものを徹底的にコントロールすることを試みている。具体的には新しく建てる建築をできるだけ簡素化し、使用するマテリアルを限定し、色数を抑え、間接光と反射を利用し、新しく作られる建築よりも高架を浮かび上がらせた。そうすることで建築はレイヤーの最背面へ滑り込み、高架橋の存在が前面に出てくる。そして建築が空間の調停役を担わず、高架下空間から店舗のインテリアへダイレクトにつながる状態になるよう心がけた。周辺のコンテクストを読み込んでリーシングされた個性的な各店舗は、一定のサインや配色のレギュレーションがありつつ、それぞれのアイデンティティを損なわないようデザイン調整し、上質な店装を作り上げている。鉄道を走らせるという単一用途のために作られた鉄道高架橋が持っている強度を生かし、ノイズを丁寧にコントロールしながら商業施設として転用することで、豊かな自律性を持った風景が現れた。街の姿を変えてしまうような再開発ではなく、そこにもともとあった街の記憶をあぶり出すような手法とすることで、年輪のように重層化されながらこの場所でしかなし得ない、新しい文化が醸成されることを期待している。