
補足資料




<概略> 博多の歴史を留める旧市街の中心地での集会施設である。天神や博多駅周辺で進むモノ的発展に包囲されながら、いかに歴史を捉えるかということが、自ずから命題となるような敷地である。櫛田神社北神門の脇、民間が3/4、櫛田神社が1/4を分割所有する地での共存計画でもある。 容積率を使い切る建築ボリュームが計画の前提となりつつ、いかに、境内への尊厳を表すか。そこから、建物全体が「灯明」となり、日々の営みが神仏に灯火をささげる、という姿勢が生まれた。施主と設計者の意識を初期的に束ねることができた。通常の都市景観に比べて、変化の小さな神社境内の風景を、現代建築として編集し継承することによって、場所(空間)との一体的な風景を図った。 また、櫛田神社の周辺はかつて市内最大の工業地域=職人街であった。今はもう、この地区内の技術で建築をつくることは叶わぬが、市内~県内~九州内へと範囲を拡げて、個人の技能で生きる職人さんたちに呼びかけて、現代構法の現代建築に彼らの造作物を象嵌した。今は見えない地歴との一貫性をなぞる所作として、建築は作られた。 <この建築を通して、以下の3点を学んだ> 1.歴史意匠、もしくは歴史上の技術が、現代に求められる意匠や機能、社会的要求と融和できること。 2.建築が建つ場所に対して、空間的な一体性(同期)と時間的な一貫性(同位)とを目指すことによって、建築は場所と人々に根ざしていくこと。 3.個人の技能(職人技術/伝統技術)が現代の工業化/平準化した建築生産の下に、構法的、意匠的、コスト的に、共存可能であること。難産であるがゆえの、作り手各々の深い悦びが、モノを作る基本的な動機付けとして、建築現場には欠かせないこと、その結果に建築の価値(他者との共感)が生まれること。