補足資料






PROJECT MEMBER
✧「われわれの若かったころはラスキンによって鼓舞された。しかしラスキンは複雑した矛盾の多い逆説的な聖徒であった。その時代は鼻持ちならない臭気に充ちて到底永続すべきものではなかった。」*1 −ル・コルビュジエ著 , 前川國男訳『今日の装飾芸術』 ✦「荻窪Bar」は、住宅街の一角にある。2015年に私の父が自宅のガレージにキャンプ用のテーブルとパイプ椅子を並べて開業した簡素な設えのバーである。開業から10年を経て、ありがたいことに老若男女の常連で賑わう店となった。これまで店構えという代物はほとんど存在していなかったのだが、10年の節目に合わせてついにエントランスの扉を設えることが決まった。「なぜ扉だけ?いっそのことフルリノベーションしては?」と私は思った。だが「突然ガラリと変わってしまったら、今の雰囲気に慣れ親しんだ常連の居心地が悪くなると困る」また「大がかりな工事をすれば、毎日利用する常連に迷惑がかかると困る」というのが、マスターとして常連を第一に考える父の懸念と要望であった。私はそのこだわりを尊重して、“たった一枚の扉”がつくり得る空間の可能性に挑戦してみようと思った。 ✦青について:まず初めに、「青」のスタディからはじめた。「青」は藍、紺、瑠璃など日本の伝統色に多く、日本人の生活に馴染み深い色である。また、明るい場所以上に薄暗い場所ではっきりと目立つ色なので(道路標識に青色が選ばれる所以である)、夜が主役となるバーという機能において最もふさわしい色だと考えたからだ。割合を変えながら青と灰、黒、緑、黄などを混色し、理想の「青」をめざして比較検討した。しかしその結果として、混色により彩度や色相を調整せず既製の青単色で用いた方がかえって調和のとれた青みを感じられることに気がついた。昼間の自然光の下では鮮やか過ぎるように見えても薄暗い街灯りの下では落ち着きを見せる。さらに、下地に使用するラワン材の赤らんだ濃げ茶の木目を拾うことでもくすんで変化する。無機質なコンクリートを穿つように、「青」という個性(personality)を与えられた扉が、バーにどのような小宇宙を彫り込めるのか、住宅街にどのような世界観を刺し込めるのかを見守りたいと考えた。 ✧ウィリアム・モリスは、産業革命以後の大量生産による安価な粗悪品を批判的に捉え、中世の手工芸を復興し、日常に芸術を取り入れることを提案した。モリスに先んじてそれを最初に認識したのが、思想家のジョン・ラスキンである。冒頭の一節は、彼らの活動に敬意を表しつつ批評するル・コルビュジエによる言説の一部である。結果として、モリスらが提唱した美術職人による高価な製品は小範囲のブルジョワに買われるだけであった。19世紀のイギリスにおいて、彼らがめざした民衆のための芸術を普及させることは難しかったのである。 ✦ガラスについて:ヨーロッパではステンドグラスがキリストの教えを伝える教会装飾として用いられ、ゴシック期には飛梁の発明で実現した大きな開口部により興隆した。モリスはアーツ&クラフツ運動の最中に個人住宅向けのステンドグラスを数多くデザインした。ガラスは、日本においても地域ごとに特色ある伝統工芸として栄え、クラフツマンシップを象徴する素材のひとつといえる。今回は、国産品から輸入品まで多様な種類のガラスを扱う専門店から、日本、アメリカ、フランス、ドイツなど各国で製造された、色や模様、透過率がすべて異なるガラス10枚を厳選した。同時に、各部分の高さ、大きさ、使い勝手を検討しながら、バラバラとなるよう扉全体に散りばめた。夕暮れどきから真夜中にかけて、刻々と移り変わる光が各ガラスの個性を際立たせる。そして、その向こうにチラつく人やグラスの影によってぼんやりと奥を感じられる。小窓を覗き、今日は誰が来ているだろうか?と確かめてから、ひょっこりと顔を出すお客さんの姿を見るといつも懐かしい気持ちになる。それは、社会と繋がるためには必ずしもまちに大きくひらく必要はなく、小さな窓を介して光と共にお互いの存在を気に掛けることも、尊い社会性だと思うからである。さらに、人間の動作による立体的な変化も取り入れるため、押し出し窓と引き違い窓を組み込んだ。その開閉部分には、既製の木製窓枠を各ガラスの厚みに合わせ、現場加工により微調整して設置した。その選択がより合理的であるならば、特注品(order-made)を拠り所にしながら、適度に既製品(ready-made)を取り入れることが現代におけるクラフツマンシップのリアリティだと捉えている。 ✧シャルロット・ペリアンが初めてコルビュジエのアトリエを訪れた際、コルビュジエは彼女のポートフォリオを見て、「ここではクッションの刺繍はしていません」*2 と冷ややかに言い放ったという。しかし、コルビュジェは1927年にペリアンがサロン・ドートンヌに発表した作品《屋根裏のバー》を高く評価し、彼女をアトリエへスカウトする。そしてペリアンは当時コルビュジエが尽力していた家具プロジェクトへ参画し、家具職人たちの監督係に抜擢され、優れた作品群を世に送り出していくのであった。 ✦ベンチについて:1940年に初来日したペリアンは、桂離宮の霞棚にインスピレーションを受けて名作の書架《Nuage》−日本語で「雲」−をデザインした。違い棚には、収納としての機能以外に、装飾品の飾り棚として床の間に彩りを与えるという大切な意味がある。バーの扉にも、室内外を出入りするという機能を超えた、人間のふるまいへ介入する余地を取り入れたいと考えた。そこで、扉の一部に折り畳み式のベンチを内蔵し、それ自体がひらいたりとじたり、座れたりする家具であり、人間の身体と触れ合うことで、使う楽しみそのものを感じられるような扉のあり方をめざした。実際、できあがったベンチ廻りを観察してみると、前を通りかかった子どもが寄り道してあそんでみたり、お客さんが満席時の待ち合いとしたり、(近隣にはご配慮いただき)タバコを吸ったり、夜風に吹かれながらお酒をのんだり、私が設計時に想定していた以上の多様な人々のふるまいを発見できたことに驚いた。そして何よりも扉そのものが、ちょっとした人間との戯れ(play)によって自然と扉以上のふるまいをする姿に勇気を与えられた。 ✧《青い扉》は、“装飾としての扉”に期待を込めた、小さな目論みの一手である。装飾の魅力とは、定められた意味の先に、人間が新しい意味を発見できる余地にある。装飾であればこそ、予期せぬふるまいや感情を人間に触発し、空間との間に生き生きとした関わりをつくるだろう。腰掛けられることもあれば、動かされたり、奥を覗き見られることもあり、ただの「青」い塊になることもできる。人間のための装飾として設えられた《青い扉》は、“扉”という意味から解放された自由な物である。 ✦産業革命期のバーは、労働者や職人も含む民衆が集まり交流する場所として栄えた。イギリス版のバーであるパブは、パブリック・ハウスの略称である。私自身、運営側として店に立つことも多いが、隣席で仲良く盛り上がっていたお客さんが実は初対面であったというのはよくある話である。お酒の力を借りるという理由だけに留まらず、その雰囲気によって人間の緊張をほぐし、外界では起こり得ない交流を発生させる。そんなバーの空間を拡張し、普遍的な半公共空間(public house)として未来へ継承していくことに可能性を感じている。 「荻窪Bar」の今後の展望としては、第一期、第二期、第三期...とバーを構成する小さなピースをひとつひとつ段階的に改修したいと考えている。その大きな理由は、先に述べたように、一気にすべてを変えないため、工事による休業期間を極力設けないためでもあるが、加えて、つくる楽しみ、つくる過程を見る楽しみ、ものづくりに立ち会う喜びをこのバーを訪れる人に味わってもらうことをめざすためでもある。 ✧扉とは表層である。ただし《青い扉》は、厚みを持った表層である。同時に、内外の空間に依存せず、自律した個性を持つ建築としてふるまう物である。どんなに小さな部分でも個性を持ってそこにあり、その瞬間にしか立ち現れない全体がある。バラバラな部分がその個性を失うことなく、次第に全体をかたちづくるように、ある人間によってあしらわれた装飾の上に、別の人間が少しずつ意味を発見していく。そのようにして竣工をゴールにせず、つくり続けるプロセスを建築にすることが、結果として明日への新しい形式を開拓し得るのではないだろうか? 引用・出典: *1 ル・コルビュジエ著,前川國男訳『今日の装飾芸術』鹿島出版会,1966年,p.152 *2 シャルロット・ペリアン著,北代美和子訳『シャルロット・ペリアン自伝』みすず書房,1957 年,p.26 その他参考文献: ・ニコラス・ペヴスナー著,白石博三訳『モダン・デザインの展開』みすず書房,1957年 ・ジリアン・ネイラー著,川端康雄/菅靖子共訳『アーツ・アンド・クラフツ運動』みすず書房,2013年 ・ポール・トムスン著,白石和也訳『ウィリアム・モリスの全仕事』岩崎美術社,1994年 ・リンダ・パリー編,多田稔監修『決定版 ウィリアム・モリス』河出書房新社,1998年 ・展覧会公式カタログ『シャルロット・ペリアンと日本』鹿島出版会,2011年