




補足資料


PROJECT MEMBER
見ることと見えること 意識が捉える対象そのものよりも、その周囲に漂う風景のほうが、記憶や夢のなかでは鮮明によみがえることがある。本作は、周辺視*とも呼ばれる「無意識のまなざし」を顕在化する試みである。数種類のポリカーボネート複層板と植栽に囲われたバルコニーを介し、場所ごとに多様な解像度で調停された風景が工場街と親和的に響き合う。 記憶の風景 何かの作業に没頭するとき、誰かと会話するとき、私たちは家具の配置や窓辺の風景に注意を払っているだろうか?印象的な出来事のあった日の夜には、取るに足らない背景こそが決まって夢に回帰するのはなぜか?ぼんやりと周囲にただよう風景には、意識が直面するリアルな像には還元できない、底知れぬ強度が潜んでいるように思える。 埼玉県戸田市南西部、荒川左岸の工場街に、記憶を喚起するような風景をつくりたいと考えた。クライアントは、20年ほど前からこの地に拠点を構える空調設備会社で、既存社屋の老朽化に加え、非効率な作業環境の改善が問われていた。 スキップフロアを導入し、軒高と気積をしぼり、上下階の視線のつながりや、光と風の動きを活かせるような断面形状を探った。高低差のある各階の床が、内部階段に面する位置には、透過性のある可動間仕切りが採用された。気温変化や身体的ニーズに合わせ、間仕切りを開閉すれば空調負荷を軽減でき、室内から見通す風景の変化を楽しめる。 解像度を上げすぎない 主要なワークススペースのある2階には、植栽に囲われたバルコニーが張り出す。南西からの日差しを抑制し、隣接する工場とのあいだの緩衝帯となる。バルコニー沿いの植栽や、遠方に広がる緑樹と同様に、工場街の風景や機械音までも等価に引き受ける。周囲を取り巻く環境は身体との関係から再解釈された。 外壁の主要な採光面と内部間仕切りにおいては、各階各室ごとに求められる耐風圧強度と視認性の条件が異なるため、仕様の異なるポリカーボネート複層板とガラスが個別に採用された。植栽と黒ずんだサイディング壁、荒川の土手と錆びついたトタン屋根、階段越しに半階ずれた室内同士がランダムに調停され、場所ごとに多様な解像度の風景が立ち現れる。 工場のノイズが通奏低音となり風景と交わる。周辺視が捉える弛緩した風景は、想像力の降り立つ余白を生み、記憶と現実のあいだを移ろう。 *「しかし、生きられた経験の本質は、意図していない触覚的なイメージと焦点の絞られていない周辺視覚にある。焦点の絞られた視覚は私たちを世界と対峙させるが、周辺視は生き生きとした世界で私たちを包み込む。」 ユハニ・パッラスマー 著 百合田香織 訳 『建築と触覚――空間と五感をめぐる哲学』(2022年、草思社、P.21)
